原始仏教
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①原始仏教(お釈迦さんが生きてた頃に近い経典を中心とし教え?)に興味しんしん。
あとスマナサーラ長老や、南直哉さんの本やら書かれたものを少しずつ読みはじめてます。
日本の仏教は色々とありすぎてどこから入ればいいかわからず(お寺や仏像などの美術的価値として、表面上の仏教はずっと好きだったけど、内面的な仏教の入口がずっと分からないでいた。)、ようやく、ここから分け入っていくことができる、という確信を持てた。
そのきっかけを掴めたこと、ラッキーだった。自分、グッジョブ。
「生きていること、生まれたことに意味などない」と言う南師と、
「何のために生まれたか、それはただ一つのことを成す為で、それは人格を完成させる為」と言うスマナサーラ長老の言葉。
どれも、ズシンと自分の胸に落ちた。
②日本の仏教の故郷、奈良へ。
Q賀斎さん、すんません、奈良いってきました。
でも飛鳥は今回はスルーです。
私は一度修学旅行で着たのを入れて、4回目の奈良ですが、奈良はたまらんです。
何度きても、新しい面が見える。
ぶっちゃけ京都より好きです。
すこし、鎌倉に似てます。
鎌倉より古く、建築でかいですが。
あの田舎道を歩いていると、なんとも懐かしい気持ちにくるまれて、とても落ち着きます。
もう一度、なんとか奈良に行って、飛鳥を回りたい。
なぜ、「何度でも」ではなく、「なんとかもう一度」かというと、
③1月に、実家帰る事に。
千葉よりに位置する東京都は小岩の我が屋へ。
姉が二人目の子を宿し、実家の仕事が回らなくなってきたので手伝いに、
そしてやっぱり、大阪で暮らすのにギブアップで…。
しばらくは、実家に居候させてもらう事に、なんとか話がつきまして。
実際、帰ってからどうなるかは、帰ってみないと分からないのですが、とりあえず帰ってみます。
帰ると決まったら、不安が沸いて来る。
帰れないと思ったら、苦しくて息が詰まりそうだったのに。
どっちにしろ苦しいなら、どっちも味わってみるしかない。
良い面も悪い面も、実際やってみないことには想像だけじゃ分からない。
と、まあ近況はこんなんです。
いまは、いつ帰るかをバイト先と調整中。
それが決まれば、荷物整理やら仕事探しやら、色々またやらねばならんことがわんさかです。
環境を変えるのは、私にとって恐怖で、苦痛で、不安です。
でもじっと我慢しても何かがよくなるわけじゃない。
それなら、同じ苦しみでも動いていくことでなんとかこのモヤモヤを打破していきたい。
ダメ元で、動く方に賭けました。
来年が、どんな一年になるか、自分には分からない。
それはこっちに来るときも同じだった。
さいの目は振ってみるまで分からんのだ、
と、何度も何度も自分に言い聞かせて、
東京に帰ります。
なんとか、自分の足で立てるようにならねば。
それができなければ、戻る意味はない。
一回りマシな人間になって、強くなって、
そしたらまた関西に戻ってこようかしらん。
こえーーよぅ。
先の見えないのは、怖い。
ビジョンも何もないし。
でも、怖くなったら、自分を支えるものを、
弱い自分を叱咤激励してくれるものを、私は見つけはじめている。
犀の角のように一人で歩まねばならないとしても、
頭上を見上げればそこには明々と輝る星がある。
寂しくても、心細くても、
行くべきところを見失わなければ、一歩を踏み出せるのだ。
そうやって自分に言い聞かせて、震える足で、一歩一歩、歩いていく。
そうすれば、どこにいても、どんな境遇でも、なんとか生き抜いていける。
死ぬまでに、お釈迦様が感じていた境地にたどり着きたいというのが、わたしの密かなる野望で、
たとえホームレスさんになってもそれは続けられる。
死にさえしなければ。
そう思えば、うん。
なんとかなる、気がするのである。
よし。
あとスマナサーラ長老や、南直哉さんの本やら書かれたものを少しずつ読みはじめてます。
日本の仏教は色々とありすぎてどこから入ればいいかわからず(お寺や仏像などの美術的価値として、表面上の仏教はずっと好きだったけど、内面的な仏教の入口がずっと分からないでいた。)、ようやく、ここから分け入っていくことができる、という確信を持てた。
そのきっかけを掴めたこと、ラッキーだった。自分、グッジョブ。
「生きていること、生まれたことに意味などない」と言う南師と、
「何のために生まれたか、それはただ一つのことを成す為で、それは人格を完成させる為」と言うスマナサーラ長老の言葉。
どれも、ズシンと自分の胸に落ちた。
②日本の仏教の故郷、奈良へ。
Q賀斎さん、すんません、奈良いってきました。
でも飛鳥は今回はスルーです。
私は一度修学旅行で着たのを入れて、4回目の奈良ですが、奈良はたまらんです。
何度きても、新しい面が見える。
ぶっちゃけ京都より好きです。
すこし、鎌倉に似てます。
鎌倉より古く、建築でかいですが。
あの田舎道を歩いていると、なんとも懐かしい気持ちにくるまれて、とても落ち着きます。
もう一度、なんとか奈良に行って、飛鳥を回りたい。
なぜ、「何度でも」ではなく、「なんとかもう一度」かというと、
③1月に、実家帰る事に。
千葉よりに位置する東京都は小岩の我が屋へ。
姉が二人目の子を宿し、実家の仕事が回らなくなってきたので手伝いに、
そしてやっぱり、大阪で暮らすのにギブアップで…。
しばらくは、実家に居候させてもらう事に、なんとか話がつきまして。
実際、帰ってからどうなるかは、帰ってみないと分からないのですが、とりあえず帰ってみます。
帰ると決まったら、不安が沸いて来る。
帰れないと思ったら、苦しくて息が詰まりそうだったのに。
どっちにしろ苦しいなら、どっちも味わってみるしかない。
良い面も悪い面も、実際やってみないことには想像だけじゃ分からない。
と、まあ近況はこんなんです。
いまは、いつ帰るかをバイト先と調整中。
それが決まれば、荷物整理やら仕事探しやら、色々またやらねばならんことがわんさかです。
環境を変えるのは、私にとって恐怖で、苦痛で、不安です。
でもじっと我慢しても何かがよくなるわけじゃない。
それなら、同じ苦しみでも動いていくことでなんとかこのモヤモヤを打破していきたい。
ダメ元で、動く方に賭けました。
来年が、どんな一年になるか、自分には分からない。
それはこっちに来るときも同じだった。
さいの目は振ってみるまで分からんのだ、
と、何度も何度も自分に言い聞かせて、
東京に帰ります。
なんとか、自分の足で立てるようにならねば。
それができなければ、戻る意味はない。
一回りマシな人間になって、強くなって、
そしたらまた関西に戻ってこようかしらん。
こえーーよぅ。
先の見えないのは、怖い。
ビジョンも何もないし。
でも、怖くなったら、自分を支えるものを、
弱い自分を叱咤激励してくれるものを、私は見つけはじめている。
犀の角のように一人で歩まねばならないとしても、
頭上を見上げればそこには明々と輝る星がある。
寂しくても、心細くても、
行くべきところを見失わなければ、一歩を踏み出せるのだ。
そうやって自分に言い聞かせて、震える足で、一歩一歩、歩いていく。
そうすれば、どこにいても、どんな境遇でも、なんとか生き抜いていける。
死ぬまでに、お釈迦様が感じていた境地にたどり着きたいというのが、わたしの密かなる野望で、
たとえホームレスさんになってもそれは続けられる。
死にさえしなければ。
そう思えば、うん。
なんとかなる、気がするのである。
よし。
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